代休日 (某日)
銀行に行くと窓口に教え子が・・・。
うーん 向こうも気づいている。 うーん 口座は見られたくない。
無駄な用事できている。
$買いませんか?の返事をしに来ただけだ。無論断るつもりだ。
その代わり定期口座の開設でもしようと思ってきたのだ。
教え子から呼ばれる。
$は断った。よし。
定期口座の開設。
「センセー,給与もこの口座に振り込んでいますよねえ?」とか聞いてくる。
まあいい。とにかく定期だ。
「ここに勤務先書いてもらえますか?」と聞いてくる。
「こら! 給与振込しているから勤務先はわかるだろ!」と言いたくなったが言えない。
良き客をふるまう。
今度は,オーストラリアドルや,ナントカ年金とかすすめてくる。全部お断りして,
最後にやはり部活の話。
カンケーないだろ!
本当に部活は学校に根を「しっかり」はっている。
なんだろうなあ
┐(´д`)┌ヤレヤレ
銀行に行くと窓口に教え子が・・・。
うーん 向こうも気づいている。 うーん 口座は見られたくない。
無駄な用事できている。
$買いませんか?の返事をしに来ただけだ。無論断るつもりだ。
その代わり定期口座の開設でもしようと思ってきたのだ。
教え子から呼ばれる。
$は断った。よし。
定期口座の開設。
「センセー,給与もこの口座に振り込んでいますよねえ?」とか聞いてくる。
まあいい。とにかく定期だ。
「ここに勤務先書いてもらえますか?」と聞いてくる。
「こら! 給与振込しているから勤務先はわかるだろ!」と言いたくなったが言えない。
良き客をふるまう。
今度は,オーストラリアドルや,ナントカ年金とかすすめてくる。全部お断りして,
最後にやはり部活の話。
カンケーないだろ!
本当に部活は学校に根を「しっかり」はっている。
なんだろうなあ
┐(´д`)┌ヤレヤレ
コメント
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私は、「教え子」といういい方はしません。あえて言うなら、過去に「生徒として関わった人」です。教師自身が「教え子」という表現を使えば、そこには教員自身の自己満足や自己陶酔のにおいがするように、私には思えるからです。
卒業し、「先生ー生徒」の関係が過去のものとなっても、依然として「先生」と話しかけてくる習慣は、外国にもあるのでしょうか。学校時代の関係を卒業後も保持しようとする理由は何でしょうか。