管理職にならないのは無能なのか?
これって非常に難しい問題で,
管理職試験が有能無能を判断する試験ではない。
管理職としての適性をはかる試験ではある。
つまり有能の基準がわからない。
有能な教諭は授業がうまい。
だから管理職になって,指導案の添削や授業を見て助言をする。
しかし,研究授業ほど時間を食うものはないと思っている。
では生徒指導がうまいと管理職になるのか?
それも違うと思う。
管理職になれば直接生徒と関わらないでよいので,生徒指導も何もない。
生徒指導の方法は,体感で2年おきに変わる。普遍性もあるが流動的だ。
これは,管理職より教諭のほうがうまい場合が多い。
と,ほかにも考えるのだが,管理職はマネジメントというのは事実と思う。
都道府県,市町村の教委の意向,を読み取ることも重要だろう。これは,広く言えば市民の意向でもある。
何が何だかよくわからないが,言葉を多く使わないと,管理職は有能だというのは説明できない。
私は,「言葉を多く必要とする事象」には懐疑的である。
つまり管理職になるのは有能か無能かと聞かれたら,言葉が多くなる。つまりわかりにくい。
一方で
「あの先生の授業はわかりやすい!」
その短いフレーズはとてもうれしい。
ということで,管理職を目指さないから無能とは言わないでほしい。
これって非常に難しい問題で,
管理職試験が有能無能を判断する試験ではない。
管理職としての適性をはかる試験ではある。
つまり有能の基準がわからない。
有能な教諭は授業がうまい。
だから管理職になって,指導案の添削や授業を見て助言をする。
しかし,研究授業ほど時間を食うものはないと思っている。
では生徒指導がうまいと管理職になるのか?
それも違うと思う。
管理職になれば直接生徒と関わらないでよいので,生徒指導も何もない。
生徒指導の方法は,体感で2年おきに変わる。普遍性もあるが流動的だ。
これは,管理職より教諭のほうがうまい場合が多い。
と,ほかにも考えるのだが,管理職はマネジメントというのは事実と思う。
都道府県,市町村の教委の意向,を読み取ることも重要だろう。これは,広く言えば市民の意向でもある。
何が何だかよくわからないが,言葉を多く使わないと,管理職は有能だというのは説明できない。
私は,「言葉を多く必要とする事象」には懐疑的である。
つまり管理職になるのは有能か無能かと聞かれたら,言葉が多くなる。つまりわかりにくい。
一方で
「あの先生の授業はわかりやすい!」
その短いフレーズはとてもうれしい。
ということで,管理職を目指さないから無能とは言わないでほしい。
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